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2019-10-18

お掃除文学とインテリア

おはようございます、京都のインテリアコーディネーターDECO-TEです。

日頃書店でインテリアコーナーを見るたび、お掃除や収納の「丁寧に暮らす」「断捨離」系の本が多いので「お坊さんじゃないんだからっ!」と心の中でツッコミを入れています。なんだかみんな自分を責めすぎだよな、ごちゃごちゃしてたって好きなものにかこまれて幸せならいいじゃないか。部屋をつくることはもっと楽しくて、ワクワクする部分がいっぱいあるのになーと、隣で熱心に本を探している方に伝えたくなります。

じつは今翻訳に挑戦している本にもまさにそんなことが書いてあって、インテリアデザイナーにうらみでもあるんじゃないかというほど、プロがつくったお部屋をけちょんけちょんにけなしつつ、生活がにじみでる暮らしがいかにすばらしいかについて語っています。早くご紹介したいなー。

でも実は…

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そんなわたしですが、実はお掃除大好きです。
おしゃれ洗剤やお掃除グッズには目がないし、土日はあちこち整理しているとあっという間に時間が経ってしまいます。

今年のひそかな目標は「きれいずきと言われたい!」なんです。お掃除好きなんですがだれが見てもきれいといえるというレベルではなく、きれいとごちゃごちゃのときの落差が非常にはげしく、いつでもきれいを保てるのが理想です。

お掃除文学の双璧

そしてそんなわたしの大好きな作家が、村上春樹。
落ち込んだときに彼の小説を引っ張り出してきて、はじから読み直したりします。主人公が新聞をまとめたり、鏡をふいたり、冷蔵庫の中を整理したりするのを読むと、わたしの気持ちまで整理されたように感じます。

先日内田樹さんの『もういちど村上春樹にご用心』を読んでいたら、村上春樹のようなお掃除シーンが多い文学を、グルメ文学に対して”お掃除文学”と表現していて、そんな文学作品は「幸田文のもの以外には寡聞にして知りません」と書いてありました。そのときなんというか、同志をみつけたような喜びというのでしょうか。ようやくあなたに出会えた、という気持ちに。

わたしは以前から幸田文が大好きで、小説の中にも随筆の中にもでてくる、生活のシーンによって描かれる想い方みたいなものが大好きでした。じっとして思考しているのではなく、つねに身体を動かしながらなにかを思う、みたいなところにすごく共感します。

もちろんインテリアにも、やっぱり掃除は必要です

本屋さんのインテリアコーナーのラインナップには不満はありますが、もちろんインテリアも掃除は行き届いていたほうがいいなーと思っています。気に入って購入したアンティークやせっかくつくったコーナーにほこりがたまっていたら、形だけで使われてないんだな−、あるいは大事にされてないんだなーと思われてしまいます。ひとをよぶのに掃除をするのも、できるだけ不快な思いをしてほしくないな、という気持ちから。飾り付けているくせに生活のにおいがしたら、厚化粧のうそっぽさがでてしまいます。

収納や断捨離問題も、たしかにものが多すぎて「飾る」ところまでいってない部分はたくさんある。整理することで、よりものを愛でたり、デコレーションが際立つところはあるかと思います。幸田文や村上春樹のように、身体を動かしてごしごししながら、自分の部屋について思いをめぐらすのは楽しい時間です。

わたしは掃除そのものが楽しくて、細部にこだわりすぎてしまい、全体としていつまでたってもきれいにならないのが悩みのたね。今年もあと二ヶ月ちょっと、「きれいずき」といわれるためにがんばりたいと思っています!

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